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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2013年
04月06日
19:22

三菱 火星エンジン

 「金星」と「瑞星」の両発動機を完成させたことにより自社空冷式発動機の標準形式を固めつつあった三菱は、昭和13年2月に次の大出力発動機の開発に着手しました。
 この発動機は、筒経を150mm、行程を170mmとし、三菱が以前に製作していたイスパノ650馬力発動機と同じ気筒寸法を採用しており、主として大型機搭載を狙い、社内呼称はA10でした。
 三菱には、これより前の昭和10年2月に開発に着手し、翌年7月に完成した同一気筒寸法の海軍向け10試空冷800馬力(公称875馬力)を製作しており、この発動機が「火星」の原型となったと言われています。
 この「火星」の開発の担当者は、主機が藤原光男、過給器と補機類が角田鼎、気化器が榊原裕、減速装置が黒川勝三らでしたが、その他にも組立と工場運転に熊谷直孝、飛行実験と動力艤装関係は泉一鑑、曽我部正幸らも参加していました。
 「火星」は、その初期から2速過給とした最初のエンジンでしたが、その開発作業は順調に進み、最初の11型は昭和13年9月に完成しました。海軍の試作名称は13試ヘ号(MK4A)で、陸軍ではハー101と呼ばれていました。
 10試系列に続いて、昭和16年5月には更に性能改善、出力向上を行なった20型系列の整備も行われました。
 10試系列に続いて開発された20系列では、その最大出力は1530馬力/2450回転から1850馬力/2600回転に増大していましたが、この10型と20型では出力、回転数の相違の他に、20型には水・メタノール噴射方式や,気化器方式に換えて燃料直接噴射方式を新しく採用したものが加えられていました。
 「火星」は、当時の国内での最大出力機でもあったことから、三菱のみならず、他社機にも数多く搭載され、三菱発動機内での最大量産機種となりました。搭載機で有名なものに「雷電」戦闘機があります。

コメント

2013年
04月06日
21:43

三菱が、火星探査機を作ったのかとおもたw…

2013年
04月06日
21:55

2: U96

>白林檎 美和@2/18退院。さん
まぎらわしいタイトルでごめんなさい。

ロシア製カメラ用レンズも星の名前がつけられています。また独ソ戦の戦史を読むとソ連側のウラヌス作戦やサターン作戦などが出てきます。

2013年
04月06日
23:40

火星エンジンの採用機ですが、雷電よりむしろ、一式陸攻や二式大艇の方がメジャーかもしれませんね。
こちらの好成績もあって、大出力エンジンの代表選手として雷電に採用された訳ですし……。

2013年
04月07日
00:26

4: U96

>咲村珠樹さん
もともと大型機用ですものね。
ついでながら、強風も火星エンジンを搭載していましたよねえ。

2013年
04月07日
01:02

私の頭の構造上、大雑把にしか軍事関連の話は理解出来ないのですが、
こういった日本の軍事工業の末端に宮崎駿の生家が連なり、幼い駿氏にその機械フェチを刻印し
それが巨神兵にまで結実するかと思うと、オタク文化の錯体さに、感慨深いものがありますなぁ…

2013年
04月07日
05:43

6: U96

>ウワバミ琉球守さん
そういえば宮崎氏の生家は戦闘機の部品を作っていて、裕福だったとか聞きました。
彼が東映で激しい労働争議を経験したのち、自分のスタジオを持つようになって、アニメーターの生活改善にとりくんでくれたことは喜ばしいことと思います。

つまらないことですが、漫☆画太郎氏がジブリの採用試験に落ちた腹いせで漫画を書き、ジャンプで連載を持つようにまでなったのも感慨深いです。

2013年
04月07日
12:07

三菱と言えば、技術の三菱!

昔、三菱はVHSで席巻した時代があってその映像は「カミソリ三菱」と呼ばれ・・・

エンジンと関係なかった・・・

スマン、逝ってきます OTL...

2013年
04月07日
17:57

8: U96

>ma(≧∇≦)海@希羅里さん
いえいえ最先端の企業ということでおおいに関係ありますよ。しかしながら、本気で欧米と戦争するならば、三菱だけでは荷が重かったのですよね。他のエンジンメーカーも養成しないと。