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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2013年
01月05日
20:02

三式中戦車チヌのエンジンと足回り

 三式チヌは、原形となった一式チヘ同様に統制型一○○式ディーゼルエンジンを搭載していました。九七式チハとくらべ一式チヘ、三式チヌの機関室長の延長はわずかですが、エンジン出力は九七式チハの一七○馬力から最大二四○馬力に強化されています。このため全備重量二一トン(『国軍新兵器便覧』の数値、三菱資料では一八トン)を超えるにもかかわらず、三式チヌのトンあたり馬力は約一一馬力強と、トンあたり一○馬力前後の九七式チハより改善されており、最大速度では四○キロ弱と大差がないものの、登攀性能や不整地送破性能は向上していました。渡渉能力は一mです。

 三式チヌの機動力改善を実現した統制型一○○式ディーゼルエンジンは、陸軍の主導により車両用高速ディーゼルエンジンの規格統一を図ったもので、ボア×ストロークは一二○mm×一六○mm、燃焼室構造は四ストローク余燃焼室式で統一されていました。空冷V型一二気筒エンジンであり、正しくは統制型一○○式空冷V型一二気筒ディーゼル。メーカーの型番ではAC機と呼ばれました。

 一方でトランスミッションやブレーキ等の操向装置は一式ホイ由来のもので新味はなく、信地旋回可能、緩旋回での必要半径約一一mという性能もほぼ同様でした。
 起動輪や誘導輪、転輪などの足回りも九七式チハ以来のものです。なお三式チヌは一式チヘより車体重量が増していますが、この程度は許容範囲で操向装置、足回りに大きな変更はなく、多少の強化、まず車高調節がはかられ、前と後輪は独立した懸架装置を配備、中央の転輪四個には二輪ずつの平衝桿運動式懸架装置(いわゆるシーソー式。振動が治まるのに時間が掛かるが地形追従性は高い)が取り入れられました。

 また接地するキャタピラ(履帯)には、一式チヘと同型式のものとしましたが、ノモンハン事件やシンガポール作戦での戦車行動を検討し、不整地走行による履帯の痛みや磨耗を防止するため、従来のものよりもさらに高硬度の高マンガン鋳鉄鋼のものを採用しました。これら高マンガン鋳鉄鋼は小松製作所などが研究していたものです。
 接地圧は○・七kg/C㎡で、日本の中戦車としては標準的なものでした。

 電装系については『四研史』の記載から、三式チヌのバッテリーは二四○アンペア一二ボルト二基で、一式チヘの一八○アンペア一二ボルト四基から変更されていることが確認できます。おそらく砲塔旋回用モーターのために変更と思われますがこれ以上の情報がなく詳細は不明です。

 本土決戦での日本軍サイドの防衛構想は、本土防衛軍は徹底した築城と完璧な偽装により上陸直前の敵による大規模な空襲と艦砲射撃を耐え抜くと共に、敵上陸に際しては堅固な海岸陣地に立て篭った「拘束部隊」が敵上陸軍を海岸地帯に拘束している間に、内陸部に展開していた「決戦部隊」が敵上陸地点に殺到して水際で敵を撃滅する戦法でした。この作戦構想の中で戦車部隊は「決戦部隊」の要で、中でも三式チヌは米軍のM-4シャーマン戦車に互角に渡り合える唯一の機甲車両でした。

 三式チヌはカタログスペック上では距離六○○mよりM-4シャーマンの正面装甲を撃破可能とされていましたが、敵戦車の車体前面の傾斜装甲を考慮して、実戦では側面ないし後面を射撃する事が奨励されていました。

 また敵の砲爆撃より車体を護りつつ遮蔽下での迎撃戦闘を行なうために、予め反撃予測地点には三式チヌの車体を隠せる壕を設けた射撃陣地を複数構築しておき、敵戦車に対しては敵の侵寇前に予め射撃陣地に戦車を進出させておき、敵侵寇に際しては壕より砲塔のみを露出させた砲塔射撃をもって側面ないし後面に対しの射撃が計画されていて、併せて敵撃破の後には砲爆撃に対処するため早急の予備陣地への陣地変換が定められていました。

 三式チヌは関東と九州の本土決戦部隊のみに配備が行われました。本土決戦は九州地区への米軍の侵寇の可能性が濃厚なために、九州地区へ優先的に車輌の配備が行われました。配備部隊は九州展開の独立戦車第四、第五、第六旅団、戦車第四十六連隊に加え、関東に展開した戦車第一、戦車第四師団、独立戦車第二、第三、第七旅団が数えられます。

コメント

2013年
01月05日
21:35

サイドビューだと足回りがよく見えるかと。
現在残っている車両には、残念ながらエンジンが残っていないので、どんなエンジンだったか判らないのが残念です。

2013年
01月05日
22:12

2: U96

>咲村珠樹さん
あれ?「丸」2012年12月号の取材写真にてカラーでエンジンは写っております(19ページ)。

今、手元に『機械化兵器開発史』(非売品)のコピーがありますが、そのスペックは排気量21.7リットルで最大PS240馬力とあります。

2013年
01月06日
01:18

旧日本軍の戦車に関しては司馬遼太郎がぼろくそに言っていましたね、「あんなのは平気ではない」と。

2013年
01月06日
17:22

4: U96

>半木 糺 さん
エンジン出力がパッとしなかったのですね。だから装甲も厚くできなかったし、足回りも強化できなかったのですね。・・・つまらないことですが、佐藤大輔の仮想戦記小説「征途」では司馬遼太郎がベトナムで戦車に乗って戦っております。

2013年
01月06日
21:14

ああっ、どうやら勘違いしていたようです(^^;

日本の兵器は艦船、車両、飛行機に至るまで動力源たる「機関」の出力が低いのが諸々足を引っ張ったようです。

2013年
01月06日
21:57

6: U96

>咲村珠樹さん
でも海大型潜水艦の2サイクル復動ディーゼルは欧米が諦めた水上速力24ノットを実現させました。

そういえば、私もいいかげんなことを書きました。2サイクルエンジンの潜水艦はシュノーケルが使えなかったという・・・全部ではなかったのですね。伊400はシュノーケルが使えましたし・・・