1939年4月1日、十二試艦戦(零戦)の一号機と二号機は、三菱製「瑞星」一三型(空冷二重星型14気筒、780馬力)を搭載して初飛行に成功しました。
よく言われている要求性能に、最大速度高度4000メートルで時速500キロ、上昇力高度3000メートルまで3分30秒以内、高度5000メートルまで5分30秒以内、航続力として機体内燃料タンクだけで全力1.2~1.5時間(高度3000メートル)、ドロップタンク(増槽)を装備して巡航速度で飛行した場合、6~8時間。運動性は九六式二号一型に劣らざること・・・とありますが、事実は違うようです。要求性能は滞空時間6時間というものだけだったようです。それでも要求性能を航続力ではなく滞空時間で出すのは異例でした。
エンジンについては、三菱製「瑞星」一三型(空冷二重星型14気筒、780馬力)か、三菱製「金星」四六型(空冷二重星型14気筒、1070馬力)のどちらかを選択するようになっていました。
同じ空冷エンジンでも「瑞星」の排気量は28リットルで、直径は1118ミリと小さいものでした。一方、「金星」は排気量32.34リットルで直径は1218ミリと大きなものでした。
結果として三菱の設計陣は「瑞星」を選びました。その理由は小排気量ゆえの燃費の良さでした。
「瑞星」は陸軍では「ハ二六」と呼んでいました。海軍機でこのエンジンを搭載する機は少なく、零式水上観測機(三菱製)と九四式二号水上偵察機(川西製)くらいでした。
陸軍機では、九六式二型司令部偵察機(三菱製)、一○○式司令部偵察機一型/二型(三菱製)といった高速機に搭載していました。
「瑞星」のバルブは当時、一般的だった型式で、シリンダーヘッド上に吸気と排気のバルブをひとつずつ配置していました。このバルブはロッカーアームで駆動される、いわゆるOHV(オーバー・ヘッド・バルブ)でした。
吸排気のマニホールドはシリンダー背部にあり、いわゆるカウンターフローでした。プラグはシリンダーヘッドの頂部ではなく側部にあり、シリンダー前後に各一個付いていました。これは点火ミスを減らすための処置で、当時の航空機用エンジンでは一般的でした。
OHVのカウンターフローというエンジンメカニズムは、現在では相当レトロです。
最大回転数は2700rpm(回転/分)程度で、現在の自動車用エンジンだとディーゼルエンジン並みといえます。1リットルあたりの出力は28.86馬力しかなく、現代の高性能ピストンエンジンの定義である1リットルあたり100馬力には程遠いものでした。
同じ程度の排気量でありながら、「瑞星」は中島製「栄」ほどの馬力を出せませんでしたが、その理由はスーパーチャージャーにありました。
この時代の第一線機に搭載する軍用航空機エンジンには、必ず過給システムが装備されていました。両者の出力差は高度3500メートルでは少ないのですが、これ以上の高度になると過給システムの優劣が働いて、「栄」の方が高出力になりました。十二試艦戦(零戦)3号機以降は「栄」一二型エンジンが搭載されました。
ちなみに日本はガソリンの精製技術が低いうえに、オクタン価が低く(アンチノック性が低い)エンジンの圧縮比を上げられないという問題もありました。
圧縮比が低ければ必然的に燃焼効率が悪くなり、エンジンは低馬力になってしまいます。
さらに、日本では海軍と陸軍で航空ガソリンの仕様が異なり、海軍の方が高品質でしたので、エンジンの比較を難しくしています。また、当時の日本製エンジンの出力が欧米製エンジンよりも2~3割出力が低かったのは、エンジン単体の性能よりも燃料や点火プラグなどの部品の品質に問題があったのです。
「零戦」と関係のなくなった「瑞星」エンジンですが、その後、意外なほど性能を上げていきました。
「瑞星」の過給システムは「栄」と同様に強化され続け、離昇出力940馬力(「栄」一二型に相当)、離昇1080馬力(「栄」二一型に相当)となりました。零戦は「瑞星」エンジンのままでも発展の可能性があったのです。
コメント
11月16日
21:41
1: 咲村珠樹
航続距離でなく航続時間としたのは、艦隊で哨戒や艦攻・艦爆の直掩を考えた場合、移動し続ける空母を基準にすれば「距離」より「時間」の方が現実的な基準だったからかもしれませんね。
ただ、それ以前の艦上戦闘機(10式、3式、90式、95式など)にも、航続距離でなく航続時間でスペックが出ていたりするので、艦上機では一般的だった可能性もあります。
97艦攻(B5N2)は航続時間3.77時間、99艦爆D3A1)も航続時間4.97時間なんてスペックが残っています。
局地戦闘機の紫電や紫電改、また烈風にも航続時間の要求があるところを見ると、長距離侵攻能力よりも「どれだけの時間戦闘できるか」という方が重要だと思うようになっているのかもしれません。
瑞星の940馬力版(瑞星一五型)は陸軍でハ-26-II、1080馬力版(瑞星二一型)は陸軍でハ-102の名称がつけられています。
……が、昭和18年の名称統合で、どちらも「ハ-31」となりました。
ハ-26-I(瑞星一四型)を装備したのは九七式二型司令部偵察機(東京〜ロンドン飛行を行った朝日新聞「神風号」の改良型)ですね。
あとはハ-26-IIを陸軍の九九式襲撃機に使用しています。
11月16日
21:55
2: U96
>咲村珠樹さん
なるほど、「瑞星」は使えるエンジンだったのですね・・・
11月17日
00:59
3: (ギギ)
え~と、つまり今回の日記は潜水艦ではない!ということですね。
エンジンにもこんなかっこ良い名前が付けられるんですね。聞く人が聞けば、中二病なんて揶揄されてしまいそうw
11月17日
06:13
4: U96
>宜宜さん
潜水艦の日記もまた復活させたいと思います。
・・・中二病かもしれないですね。ついでながら、日本を訪れ、徹底した反戦教育を行ったマッカーサー元帥は日本人の精神年齢12歳説を説いたことが有名です。
11月17日
13:33
5: 咲村珠樹
三菱のエンジンは「星」のつく名前(瑞星、金星、火星など)、中島のエンジンは漢字一文字の名前(寿、光、栄、誉など)を付けるのが伝統でした。
三菱の「星」は星形エンジンに由来し、中島の場合はライセンス生産したイギリス・ブリストル社の「ジュピター」エンジンを参考に国産化したエンジンに「ジュピター」の「ジュ」の字を当てた「寿」からスタートしています。
他には瓦斯電(のちの日立)は「風」(天風など)をエンジンの名称に付けています。
マッカーサーの「日本人12歳説」は「まだ色々なものを吸収し、伸びしろがあるので、欧米のような年老いた頭より柔軟性と将来がある」という意味ですね。
11月17日
14:50
6: U96
>咲村珠樹さん
なるほど!日本人12歳説はネガティブな意味ではなかったのですね。ありがとうございます。
11月18日
01:30
7: (ギギ)
>咲村珠樹さん
エンジン名の命名にそんな規則性があったのですね。
特に「ジュピター」の「ジュ」→「寿」というのは面白いです!
11月18日
20:13
8: U96
>宜宜さん
・・・ここは咲村さんにまたの登場をお願いしたく思います。