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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2012年
10月15日
23:03

呂29型潜水艦、呂51潜水艦

 大正7年度計画では、海中3~4型とともに機関出力を縮小し、航続力を増加した「特中型」が4隻建造されました。
 これは仮想敵国として米国を意識して建造されたもので、このタイプは通商破壊型ではなく、ハワイ方面の偵察と監視を目的としていました。
 しかし、艦形が小さく行動力が乏しいので、大航続力・長期任務に耐えられる大型艦が必要とされ、過渡期の潜水艦とされました。
 当時技術輸入や性能比較の点で、まだ外国製潜水艦の購入は行われており、イタリアのフィアット型も購入されたのですが、波の高い大西洋での実用性は乏しく、5隻の建造で打ち切られています。
 しかし、英国のヴィッカース社から製造権を取得し、大正6年~12年度計画で建造したL1~L4型18隻は、堅実な設計で機関の信頼性も高く、後期艦は太平洋戦争でも実戦に使用されています。
 L型は、英海軍が大正5年から建造を開始した最新鋭の航洋型潜水艦で、第一次大戦中に技術供与が実現したのは当時の日英関係がかなり親密だったからでした。。
 海中型を含むこれらの潜水艦群は排水量1000トン未満のもので、速力・凌波性とともに迎撃作戦の補助兵力として使用するにはあまりにも力不足だったので、大型の大航続力を持つ高速潜水艦の計画に着手することになりました。
 これは、大正7年度計画で建造された海大Ⅰ型(伊51潜水艦)で、2万海里の航続力と水上高速、3斉射分(8門×3)の魚雷を搭載した大型潜水艦でした。
 海大Ⅰ型の計画時、巡潜型の構想はまだ存在せず、水上高速と遠洋作戦能力の両方を兼ね備えた潜水艦として建造されました。