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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2012年
10月14日
18:01

伊51潜水艦の兵装と潜望鏡

 伊51潜水艦(海大Ⅰ型)に搭載されている魚雷発射管は、533ミリ魚雷の採用とともに十年式潜水艦発射管が制式化され、装備されました。
 この十年式発射管は、後の潜水艦に装備される無気泡発射管と違って、発射後魚雷を押し出した圧搾空気が艦外に放出されるので、気泡となって海面に白く沸き立つので、昼間の攻撃で射点を敵に察知されやすい欠点がありました。
 この潜水艦用の水中固定式魚雷発射管は、船殻の一部を構成していたので、進水前に装備されていました。
 内殻には造船部で発射管の貫通穴をもうけたのですが、艦首及び艦尾の発射管が船体中心線と正しく平行になるようにその穴をボーリングするには造兵部の担当で、心出し作業は気温の変化を考慮して真夜中に行われました。
 搭載魚くらいは「6年式魚雷で、これは純日本式の過熱装置を搭載した熱空気魚雷で、燃料や清水を送り出すのにポンプが採用されました。
 水雷方位盤は潜水艦採用当時には、半円形の分度器に雷速尺などを付けただけの簡単なものが使用されていました。
 海大Ⅰ型・Ⅱ型とも同様なものが装備されていました。
  発射指揮装置と呼べるものが装備されるようになったのは、昭和になってからで、海大Ⅲ型a以降は14式潜水方位盤が装備され、のちにヴィッカース社製を参考にした92式方位盤改1が制式化されると、これに換装されました。
 同時に潜望鏡照準角自動追従装置も方位盤と併用されました。
 92式が装備されるようになると、司令塔もしくは発令所から発射管室に魚雷号令電路や斜進角度電路が装備され、また従来の魚雷発射電路に操舵機一斉発動の指令回路が付加され、一方発射管室側からは魚雷射出電路などが設けられ、命令や応答は電気的に指針によって表示されました。
 海大Ⅵ型b以降の一部の艦には、98式対勢儀対勢盤あるいは三式照準角発信器2型その他も装備されました。
 伊51(海大Ⅰ型)の放蕩は、11年式45口径12センチ砲で、砲の装填は人力でした。
 弾薬定数は150発搭載され、発射の際はバケツ・リレーのように人力で弾薬箱を揚弾し、砲側に運搬しました。
 潜水艦の眼である潜望鏡は、潜水艦特有の兵器で、これは航海兵器と攻撃兵器の両方の特性を合わせ持つ独特の兵器です。
 日本海軍の潜水艦の潜望鏡は、初期のものは輸入品で、ケルビン式、ツァイス式などが使用され、潜望高すなわち対物鏡から接眼鏡までの長さ6~9メートルの物が使用されていました。
 しかし、大正8年頃からの建造艦以降、次第に国産品が使用され始め、昭和になってから八八式が総ての艦に装備されるようになりました。
 八八式の個々の形式は、航海用を1型、攻撃用を3型、夜間用を4型と称し、さらに潜望高で区別する方式を取り、改正品はそれぞれの型番号による事としました。
 だが、間もなく第3潜望鏡は廃止され、昭和5年以降は4型が夜間及び航海の兼用になりました。
 八八式における最初の攻撃用は、ツァイス式8メートル3型を参考にして設計された9メートル潜望鏡で、続いて8メートル、10メートルの物が各艦に装備されました。
 3系統の倍率は1,5倍と6倍、視界はそれぞれ40度と9,5度前後で変倍機構を操作していずれかを選択して使用しました。
 仰角は20度までかけられました。
 4型は75度または80度で天測が可能でした。
 海大Ⅰ型・Ⅱ型に装備されていたのはツァイス式と思われるのですが子細は不明です。
 海大Ⅲ型から総ての艦が八八式を装備していました。

コメント

2012年
10月14日
20:07

1: 退会済ユーザー

潜水艦の主砲は、基本装甲の薄い輸送艦が単独行動している時に使われたんでしたっけ?

2012年
10月15日
00:12

2: U96

>フロッガーさん
はい。その通りです…