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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2012年
10月11日
20:33

伊51潜水艦

 伊51潜水艦(海大Ⅰ型)は、対米作戦に際し、艦隊決戦前に米主力艦隊に対して潜水艦による魚雷攻撃を敢行し、その兵力を漸減させる狙いから、それまでの海中型より魚雷兵装の強化と速力の高速化、航洋性の向上・長大な航続力が求められ、計画された潜水艦です。
 当時、アメリカ主力戦艦の最大速力は21ノット、巡航速力は10ノット程度だったので、これを洋上で反復攻撃を行うには、少なくとも20ノットの水上速力が必要でした。
 艦の排水量も諸性能の向上を行うと、1000トンを越える事になり、この艦で20ノットの速力を得るには、6000馬力の大出力ディーゼル機関が必要でした。
 しかし、当時の日本の国産ではその必要馬力が得られず、やむなく、スイスのズルツァー社に新高出力主機(おもき:エンジンのこと)の製造を発注しました。
 ところが、船体の工事の進行に間に合わなくなってしまい、やむなく、海中型に採用されていた出力1300馬力のズルツァー2号ディーゼル主機を4基搭載して、4軸推進としました。
 ちなみに、4軸推進の潜水艦は本級が世界で最初でした。
 その為、内殻の直径4,5メートルの内筒を2個眼鏡状に並べた特殊な構造で、しかも艦の前後は単筒型に戻した為、船体ラインはかなり複雑な形状を呈していました。
 また、2万海里の長大な航続力を有する為、燃料搭載量は580トンに達し、海中型数隻分相当にあたり、燃料タンクも巨大になっていました。
 これらの要求に応える為、艦型の決定には苦労を重ね、6回の改正が行われました。
 その為、大正7年に計画されたものの、着工は遅れて、第一次大戦後の大正10年4月となりました。
 その設計には、ドイツから招かれた潜水艦設計の権威テッヘル博士の指導を受けて、本原造船大佐がまとめたものでした。
 当初は第44潜水艦と命名され、対象13年11月に潜水艦の等級別番号が制定され、伊号第51潜水艦と改称されました。
 しかしながら、期待された水上速力は18,4ノットにとどまり、機会室は縦壁で二分されていて連絡が悪く、運転も困難が多いなど、性能的に不満が多かったので実用不適とされて同型艦の建造はされませんでした。
 そして本艦は水上機の搭載実験や練習艦として使用される事になりました。
 昭和6年9月の横廠式二号水上偵察機を搭載して発着実験を行い、一時は後甲板に円筒形の格納庫が設けられていました。
 更に、昭和8年5月には、呉式一号二型射出機を装備して、水偵の発進に成功しています。
 試験艦とはいえ、日本潜水艦で最初の射出機搭載艦でした。
 昭和10年に艦隊をはずされ、昭和15年に除籍になりました。

コメント

2012年
10月11日
21:09

私が仕事で使うディーゼル三連アプローチでも854ccの20馬力…

国産で現行車だとCX-5>2200CCディーゼルターボ175馬力、6000馬力なんて想像つかないですw

2012年
10月11日
21:41

2: U96

>えんぶんさん
…芝刈り機のエンジンを仕事でお使いなのですか?…

2012年
10月12日
18:06

はい。そうです^^
ゴルフ場で勤めておりますb
3つ目の職場ですがw

2012年
10月12日
21:05

4: U96

>えんぶんさん
行き着けの喫茶店のマスターが経営悪化のため、店を奥さんに託してゴルフ場に働きに行きました。しかしながら、店は潰れ、マスターは林業をやるんだと北海道へ行きました。子供二人が不憫です。

2012年
10月14日
18:52

(;ω;)

2012年
10月14日
18:59

6: U96

>えんぶんさん
???