中島飛行機の空冷2列星型エンジンの先頭を切って試作が完成したのはNALでした。時は昭和8年5月17日、7×2列の14気筒、146×160mmのボア・ストロークで35.5lの行程容積でした。すでに生産に入っていた「寿」9気筒星型の14気筒版でピストンとその関連部品を引きついだ設計でした。
中島は英国のブリストル社からジュピター6型(空冷星型9気筒)のライセンスを買い、昭和3年から生産を始めました。これで空冷エンジンの何たるかを知り、英国流の手がたい設計生産方式を覚えました。間もなく米国流の方が構造が合理的であり、生産性が高いことを学び、幾つかの社内試作を経て昭和4年から特急で行われた試作NAHが成功しました。
寿1型として、初めて自前設計により、単列星型の基礎が出来ました。更に設計に米国流を取り入れ、昭和7年「寿3型」の試作となりました。
これと前後してNAL14シリンダーの設計が開始されたのです。
NALが試作を完成してから、中島では空冷2列星型の試作時代がはじまります。設計の各部位には英国のジュピター、米国のP&W、カーチスライト系といった方式が各要素に色濃く反映しています。
最初に出来たNALは、衝棒を全部前側においていました。その点前後列の衝棒配置及び前後列のカムの設計などに無理が出やすいこと、また吸入弁と排気弁の角度が大きくとれず、弁の径が小さくなり且つ冷却ひれも少なくなる欠点がありました。クランク軸まわりのデザインでは、クランク軸が一体で、主接合棒分割方式で中央に軸受けのないタイプで、将来の発展への可能性として無理があったと思われます。
NALの試作初号機はあまり長期の運転を行わないうちに不具合が発生し、もう一度基本設計の反省に入りました。シリンダーまわりではカムを前後において前後列の幾何学的配置や運動性を合わせること、これでシリンダーの弁の角度が弁を最大にとれるように、燃焼室に最も良い角度でとれるようになりました。クランク軸まわりでいえば主接合棒の強度とその中の主軸受の耐久性がとりにくい。こうするとクランクを分割、すなわちピンの部分で分割して歯型のスプラインではめ合わせる。そして中央のクランク軸部に、センターローラー軸受を器用にはめ込むこと。これがクランク系の剛性をあげるというものでした。
今にして思えばシリンダーまわりは米国のツインワスプ(P&W系)とよく似ており、クランクまわりの構造は中島の独創性が強いと思われます。
NALの出力は最初、正規出力680hp/2200rpm、最大出力800hp/2400rpmでした。陸軍が興味を示しハ5と呼び、97式重爆撃機に採用され、ハ5は97式850馬力と命名され、三菱でも生産されました。
中島の生産最多記録となったNAM系列は海軍で「栄」11型、21型と称し、零戦のエンジンとなり、双発戦闘機月光にも搭載されました。陸軍ではハ25、ハ115として「隼」戦闘機にも搭載され、一部川崎製99式2型双発軽爆撃機にも搭載されました。栄系の総生産台数は21166台でした。
設計開始は昭和8年、NALの再設計と並んで行われました。130×150mmという小型のエンジンで外径が1150mmと小さく、「寿」やNALに比べて約100mmも小さかったです。
設計はNALの反省期と並行であり、クランク軸のスプラインによる3分割、主接合棒の一体型、中央軸受けを入れる組立方式などは早い時期から採用されています。燃焼室が小型なので燃焼も安定しており、冷却も楽でした。
はじめは海軍から10試空冷600馬力として試作命令をうけ、昭和11年に審査に合格しました。間もなくNAM1型(栄11型)として、ブースト、回転、圧縮比などをあげて離昇、高度馬力で1000hpを目指すようになりました。当時一番技術上の難問であった、主接合棒の平軸受にケルメット(銅鉛合金)を使用していましたがこの材料の組成や裏金の構造、クランクピンの仕上げ、給油孔の研究や軸受のすき間の研究などが進歩して軸受荷重や回転数が向上し、回転数が2400から2700rpmと上昇しました。
昭和12年のはじめからNAM3の設計がはじまりました。その目標は離昇出力と高度性能の向上、そしてその目的を達するために2速過給器の装着とその他各部の改善でした。
栄20型は離昇及び高度出力も1150hpに達しました。
コメント
09月16日
16:12
1: ninf
おお、星型のエンジンってこういう形なんですね
そして本当にシリンダー部分がクランク部分の周りにびっしりついてるんですね
勉強したのが、水平対向型とかV型とかだったので
星型はちょっと新鮮ですっ
09月16日
16:38
2: U96
>ninf さん
どうやら1万メートル上空を高速で来襲するB-29爆撃機を迎撃するには水冷エンジンでないとダメだったようです。空冷だと、どこかに冷却ムラができ、パイロットが危険を感じてスロットルを緩めてしまうそうです。
しかしながら、水冷エンジンは1万分の1ミリの精度を要求します。日本は手作業でやっていたので、数百分の1ミリまでの精度しか出せませんでした。