もし、イタリア陸軍歩兵師団の弱さの原因が、歩兵大隊の数や対戦車砲中隊の数、工兵中隊の数であるならば、師団数を削減し、師団あたりのこれらの部隊数を増加させれば、問題は解決するはずです。1944年段階のドイツのように、広大な東部戦線に展開する師団数を確保するため、師団数の削減などとうていできないというような状況には、少なくとも1940年段階のイタリア陸軍はなかったのです。北アフリカとバルカン半島の一部、(東)アフリカに兵力が展開しているだけであり、東部戦線というものはまだ存在せず、ユーゴスラビアにも兵力は派遣していませんでした。しかし、実は問題はそれほど簡単ではなかったのです。
実はイタリア陸軍師団の本当の弱さの原因は、歩兵用装備を個別に検討していくと明らかになるのですが、歩兵装備の恐ろしいほどの欠陥にその問題の本質がありました。歩兵分隊が装備する①カルカノM1891小銃が欠陥品であったこと。②歩兵分隊が装備するブレダM30軽機関銃が欠陥品であったこと。③歩兵大隊重火器中隊の装備する重機関銃が欠陥品であったこと。④歩兵大隊重火器中隊の装備する軽迫撃砲の火力が不足していたこと。⑤主力手榴弾であるM35手榴弾に作動不良が頻発したこと。の5点にその問題の本質があります。
①のカルカノM1891シリーズ小銃の欠陥とは、火力が弱いこと=6.5mm口径であること。しょっちゅう故障を起こすこと=戦闘中に玉が出なくなること。弾道性能が悪いこと=命中しないこと。であり、②のブレダM30軽機関銃の問題点とは、パワー不足による排莢不良がおきやすく、さらに、この問題を解決するために弾薬にオイルを塗る装置がつけれれていたのですが、このオイルにより、かえって砂がつきやすくなり、特に砂漠の戦闘で機関部の故障が続発することです。さらに、そもそもこの軽機関銃は1937年で生産が打ち切られた旧式銃です。そして④45mmM35迫撃砲は、基本性能こそ悪くなかったのですが、45mmという迫撃砲の口径は、第2次世界大戦においては、あまりに小型過ぎており、その威力は、大戦初期にドイツが威力不足で使用を中止した50mm迫撃砲よりもさらに威力が不足していたのです。この威力不足の迫撃砲を歩兵師団の主力迫撃砲(1個歩兵師団で126門装備。他に81mm迫撃砲が30門程度配備されていました)として使用していたのです。
つまり、イタリア歩兵が装備する兵器でまともに作動するのは、①拳銃(世界の名銃=ベレッタM1934)②短機関銃(同じく世界の名銃=ベレッタM38A短機関銃)③威力不足の45mmM35軽迫撃砲、しかなかったことを意味します。そして、②は一般の歩兵師団には装備されていなく、空挺部隊や特殊部隊のみの装備です。そして、①の拳銃は将校や下士官の護身用のものでしかなかたのです。これで、まともな戦闘ができるはずはありませんでした(つづく)。