大正13年にワシントン条約後の補助艦艇の補充として、大正14年から5年間に28隻の潜水艦建造が計画されました。タイプ別にみると、2000トン型巡洋潜水艦8隻、1500トン型高速潜水艦(海大型)14隻が上げられておりました。
しかし、当時の貧乏な日本では実現できず、予算の都合で次々と削られて、最終的には昭和2年3月に補助艦艇補充計画として予算が成立した時には、2500トン型巡洋潜水艦1隻と1650トン型高速潜水艦3隻になっていました。
2500トン型巡洋潜水艦は巡潜Ⅰ型改として建造された伊5潜で、1650トン型高速潜水艦が海大Ⅴ型の伊65・伊66・伊67潜です。
海大Ⅴ型はこれまでの海大Ⅲ型系列より、さらに水上速力の増大が求められました。内殻は海大Ⅳ型までの内フレームから外フレームに改めて全周複殻式とし、船体線図を改正して造波抵抗を軽減するためにL・B比が小さいわりには全速状態でも、派手に波を蹴立てず、推進効率が良くなりました。
船体のラインは、海大Ⅳ型に比べてシアーは控えめでフラットに近くなりました。この結果、荒天時の凌波性と航洋性はⅣ型に劣り、シケてうねりのある海面では大きくかぶって速力の低下を招きやすくなりました。ただし、晴天時には水上速力は20.5ノットが確保され、公試では特殊全力では22ノットを発揮しました。
内殻が全周複殻構造となったのは爆雷防御の面でも有利になりました。
内殻厚は海大Ⅲa~Ⅳ型までの15ミリから16ミリに増厚され、内殻は真円に近い円筒化と相まって、安全深度が60メートルから75メートルに増大しました。
この他には、潜舵が折りたたみ式になり、横舵は三菱重工神戸造船所で開発されたリアクション・ラダーが採用されて水中での挙動に安定を増しました。
主機(もとき)はようやくズルツァー式3号ディーゼルエンジンが信頼性を確保できたので、これを搭載しました。
長年の改良の結果、ラウシェンバッハ式にみられた特定回転域での異常振動などのトラブルも無く、特殊全力(実質3400馬力の過負荷状態だが、設計時の最大出力)の連続運転でも、以前のようにエンジンの破損は起こりませんでした。ただし、改良の結果、重量的にやや重くなっていたので、浮上の際、船体に傾斜を生じ、安定性を欠くことになりました。電動機と蓄電池は基本的にⅣ型と変わらないのですが、水中速力が0.3ノットほど低下しました。
その他、新型の無気泡発射管を採用したので、隠密性が格段に向上しました。水中聴音機もK式から米国のサブマリンシグナル社製のMV式水中聴音機に改められました。居住区には冷気器が新設されております。
コメント
07月27日
17:28
1: あおねこ
この時代に潜水艦作れる国って
すごいですよね
日本は潜水艦造りのある意味頂点
07月27日
18:27
2: U96
>あおねこさん
現在でも潜水艦を国産でできる国は限られています。率直にすごいですね。