1942年、一潜戦は8月中旬以降、印度洋に進出するため内地で整備中でしたが、聯合艦隊司令長官は1隻を北米西岸に送り、米本土爆撃及び同方面交通破壊戦を命じました。先遣部隊指揮官は、伊25潜を指定し、一潜戦のソロモン諸島方面進出に伴い、同潜を直接指揮下におき米西岸の作戦に従事させました。
伊25潜は、8月15日横須賀を出撃、大圏航路をとり、約2週間後にオレゴン州沿岸に到着しました。しかし、天候不良で飛行機の発進揚収に適せず、ブランコ岬南方で天候の回復を待ちました。
第1回目の爆撃は黎明に実施されましたが、期日は9月9日、又は9月15日とも言われ、判然としません。第2回目の爆撃は、9月29日の夜間に実施され、各回とも、76キロ焼夷弾2個をオレゴン州山林地帯に投下しました。これは山火事を狙ったものです。
爆撃後、同潜は交通破壊戦を実施して10月24日横須賀に帰港しました。この間、米貨物船2隻(13691トン)を撃沈、帰途10月11日、北緯46度41分、東経138度56分においてソ連潜水艦L16(1039トン)を撃沈しております。
コメント
02月10日
01:40
1: 咲村珠樹
伊25潜水艦に搭載された零式小型水偵は、もともと潜水艦搭載の為に必要最小限の装備になっていたのですが、この作戦の為に改造され、爆弾を搭載できるようになりました。
機体構造は一部木材を使っており、羽布張りです。
爆撃を実施した藤田信雄(当時飛曹長・最終階級は中尉)は、戦後茨城県土浦市に居住した関係で、土浦市にある陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地(海軍霞ヶ浦航空隊跡)の広報センターに、アメリカ爆撃の資料が遺品と共に展示してあります。
写真は鉄砲蔵さんが書いた記事がありますんで、そちらをご参考に……。
http://otakei.otakuma.net/archives/2012060403.html
02月10日
19:03
2: U96
>咲村珠樹さん
ありがとうございます。
米本土爆撃に従事したのはこんな方だったのですね。