昭和6年度計画(マル一計画)で建造された海中5型(基本計画番号S30)は、海中4型(呂26型)以来12年ぶりの二等潜水艦です。排水量はドイツのⅦ型Uボートと同じ700トンです。
私はこの型をドイツのように大量生産(ドイツは800隻!)すべきだったのではないかと思ったのですが、皆様どうでしょう?
戦時量産艦の原型として試作され、近海作戦のほか艦隊決戦用の海大型を補助する目的で19ノットの水上速力、在来艦を上回る航続力と航洋性能が要求されました。
船体は海中型に類似の複殻式で、主機(もとき)に信頼性の高い艦本式21号8型ディーゼルを採用しました。雷装は八八式無気泡発射管4門(艦首)と魚雷10本で、砲装は7.6センチ単装高射砲と13ミリ単装機銃各1基です。
安全深度は75メートルです。このほか八八式8メートル潜望鏡、九二式潜水艦方位盤、無線方位探知装置などを装備して能力向上を図りました。この時期の艦には珍しく艦首に網切器を備えています。
就役後の実績は総じて良好で、太平洋戦争で南方、南東両方面で作戦従事しました。
コメント
12月22日
22:21
1: 咲村珠樹
難しいところですが、当時の海軍は艦隊決戦の為に潜水艦を使おうとしていて、ドイツ的本流の通商破壊作戦や遊撃戦を全く考慮してませんでしたからねぇ……。
せっかくの造艦技術を無駄遣いした感は否めません。
しかし戦時中の日本潜水艦は、記録をひもとくと「撃沈」は案外少なく「消息を絶ち、戦没と認定」という最期が多いのが気になります。
ある意味、潜水艦を(個艦の戦術的意味でなく、戦略的に)使いこなせなかったのかもしれませんね。
12月22日
22:30
2: U96
>咲村珠樹さん
ドイツのデーニッツ提督は潜水艦は速力が速くもなければ、武装が強い訳でもないことを熟知していました。そのうえで、取り柄が1つしかない単能艦でなく、バランスのとれた潜水艦を採用しました。潜水艦になんでもやらせようとした日本と対照的ですね。なんでもできるはずはないのに・・・
12月23日
02:09
3: もぐりん。
当時の海軍の方針が潜水艦の扱いを見誤っていた感はぬぐえませんね、 でもこの時期の潜水艦は性能が向上しているとは言え大量に量産するには信頼性もイマイチのような気がします、それも使い方次第だとは思いますが・・・
12月23日
10:35
4: U96
>もぐりん。さん
当時、艦隊決戦用の潜水艦は世界各国で研究されておりました。しかしながら、日本の海上輸送網を壊滅させたアメリカのガトー型潜水艦も実は艦隊決戦用として設計された事を考えますと、今ある兵器をいかに使うかについて、柔軟な発想が大事と考えます。トリビアですが、呂33から日本潜水艦にエアコンが装備されました。信頼性については改良型(実は新設計)の呂35型があります。