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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2013年
10月13日
20:44

ジョナス邸という洋館があって・・・

 また神戸から古い洋館がなくなります。私の先輩も、解体を3ヶ月待ってくれ!その間に誰かに買ってもらう・・・と、いう運動をしておりましたが、どうやらダメになってしまったようです。

http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201310/0006414307.sht...

コメント

2013年
10月13日
20:58

外観や内装など、お洒落で住みやすそうですが、買い取ってくれるお金持ちの理解ある人がいないと、寂しい現実ですが解体なのでしょうね。

美しいものや見ていて安心出来る建物は、個人的にはなんとか残して欲しい気もします(照)

2013年
10月13日
21:02

こういう歴史のある建造物がなくなってしまうのはじつに惜しいですねー。 わたしの母がたの祖父のクソでかい洋館があったんですがこれも取り壊されて跡形もないです。子供の頃よく遊んだのですが、こうした古い洋館は時間がゆっくりと流れる感じがするんですよね。調度品なんかも単品で見るよりも建物と一緒の方がやっぱり味わい深いですからね。

2013年
10月13日
21:18

3: U96

>やまとしマンさん
ただ入手するだけで3億6千万円します。住めるようになるには更にお金がかかるでしょうね。

神戸市は、なにをやっているのでしょう?文化財の保存に積極的なのは、繁華街より東の方ばかりです。

2013年
10月13日
21:26

4: U96

>ミル☆マスカラスさん
ひゃあ!それはすごいですね・・・

それにしても須磨区の月見山の方でも洋館が取り壊されたばかりです。これ以上無くならないでと思います。
もし、神戸に北野町がなかったら、居留地の洋館はどうなっていたでしょうね。

2013年
10月13日
21:51

良い動画ですね。
最初の「ブーブーブー」が
ファミコンのゴルフでOB出した時の音かと思ったけど。

横浜の山手の洋館壊す様なものですよね。
理解に苦しみますな。

2013年
10月13日
22:01

おたくま経済新聞で『建物萌の世界』をやってると、こういう話ばかりで泣けてくるんですが、お金の問題を考えると難しいんですよね。
取り上げようとした建物のいくつかは、この2年あまり続くコラム連載中に無くなったりしてます。
『建物萌の世界』おたくま経済新聞
http://otakei.otakuma.net/archives/cat_129912.html

建物は個人の持ち物であると同時に、風景を形作る「共有財産」である、という考え方が欧米に較べて一般化していないので、残すというのは「運」が左右します。
洋館じゃないですが、実家の古い家が我が家でも懸案事項で。
西南戦争で街が焼けた後、明治12年に建て直したもので、宮崎市(旧市街地)で現存する最古の商家建築だったりしますが、現在は裏に新しい家を建てたので空き家となり、維持が大変で……。
2軒あり、片方は代々街の別当(行政のトップ)を務めていた祖母の実家が街の入口で「番屋」として使っていたもの。
宮崎の街の歴史を物語る建物ではあるのですが、市や県には建築史に詳しい人がいないので、文化財的価値を判定できないでいます。

……まぁ、そんな訳で「建物の文化財的価値」をみんなが見いだして保存できればいいんですけど、現実はそこまで成熟してません。
東京の安田楠雄邸が日本ナショナルトラストの管理下におかれて保存できたのも奇跡みたいなもんですし。
http://www.national-trust.or.jp/properties/y-tei/y-tei.ht...

2013年
10月13日
22:21

8: U96

>たうんさん
神戸の東の方の洋館はよく注目されておりますが、西の方にも外国人居留地(ジェームス山)があったことはあまり知られておりません。これでもしNHK朝の連続TVドラマ「風見鶏の館」がなかったら、神戸は今頃、文化不毛の地になっていたかもしれません。

2013年
10月13日
22:48

9: U96

>咲村珠樹さん
これは驚きました。別当というと和田義盛を連想してしまいます。

私の弟も自分以外に島根県の爬虫類、両生類、水棲昆虫の専門家がいないことを嘆いておりました。学術的資料は自然からいくらでも調査研究できるのに、このままでは、自分がいなくなったら、島根県は学問の空白地帯になると言っておりました。

2013年
10月13日
23:20

……室町時代に宮崎市の原型を作った人の末裔だったりするもんで(^^;
このリンク先の冒頭に登場する人物です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%B8%82#...

ちなみにこれをさかのぼる(咲村から38代)と、平将門を討取った藤原秀郷に行き着きます。
……で、今住んでる土地は平将門が本拠を置いていた一帯(将門を神格化している)で、高校の同級生の実家では将門煎餅(神田明神で売ってる)を作ってたりするので、先祖の話はヒミツです(^^;

2013年
10月14日
18:36

11: U96

>咲村珠樹さん
それはすごいですね。
私は茨城県国府町で将門のシミュレーションゲームを地味に作り続けている方を知っておりますが、よい土産ばなしになるでしょう。

2013年
10月14日
19:25

文化財等の維持に莫大な人とお金が必要なのは承知していますが、あとの時代に残すことも大事だと思います。壊すことはいつでもできますが、作ることは二度とできませんので…北野を初めて訪れたのは小学生の頃でしたが、あの感動は今でも忘れられません。

2013年
10月14日
19:56

13: U96

>まりもJr.@☆玲奈推し☆さん
ありがとうございます。
何に価値を見出すかは、その土地その土地によって温度差があるように感じます。残念な事に、今般、神戸市はなにもしてやれませんでしたし、市民から集まった5千万円の寄付金は生かされませんでした。どこか神戸以外の土地で生きながらえてくれたならばとも思います。

2013年
10月14日
22:14

別の場所で……というのは、東京都渋谷区南平台から横浜・山手のイタリア山公園に移築された「外交官の家」や、青森県三沢市の旅館青森屋に移築された「渋沢栄一邸」がありますね。
外交官の家(横浜市緑の協会)
http://www2.yamate-seiyoukan.org/seiyoukan_details/Gaikou...
旧渋沢邸移築の記録(清水建設)
http://www.shimz.co.jp/theme/retrofit/1105.html

外交官の家は所有者(相続者)が横浜市に寄贈し、横浜市も受け入れたもの。

三沢の渋沢邸は、元々渋沢家の書生をしていた十和田観光(十和田観光電鉄や古牧温泉、奥入瀬観光ホテル)の創業者が譲り受け、古牧温泉の敷地に移築したもの……社長が事故死した後に経営が傾き、星野リゾート「青森屋」となった後も一般公開されています。

どちらも、たまたま所有者と受け入れ先が揃っていた……という、奇跡みたいな話なので、実際にはこの例も難しいんですよね……。
歴史は時間をかけないと生まれないけど、壊すのは一瞬だけに、色々考えるべきなのですが、所有者にも色々都合があったりするので、タイミングの問題といえます。

2013年
10月14日
22:28

15: U96

>咲村珠樹さん
そのような幸運な例に恵まれるのは一部なのですね。
神戸では舞子の移情閣(孫文記念館)のそばに最近、洋館が移築されましたが、同じことができなかったのか残念です。