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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2013年
05月09日
19:15

ボードゲーム「太平記」

http://kenuchka.paslog.jp/article/1085262.html

 5月5日は神戸のボードゲームサークル「AGW」の例会でした。今回プレイしたのは、翔企画の「太平記」で南北朝の戦いを再現しています。ちなみに私が南朝でプレイしました。
 サイコロで私が先攻になったのですが、強い戦力を持っている武将といえば、奥羽の北畠顕家と北畿の新田義貞しかいません。この時点で南畿ががら空きだったのですが、東海に足利直義の大軍がいるので、南畿は捨てることにしました。
 もし、楠正成が南畿に入って生き残れば、彼は南畿が根拠地なので、ターンの終わりに自動的に南朝の支配地になります。私は楠正成をいつかは南畿に入れてそこで徴兵をしてフル戦力にしたいと考えていたのですが、それはかないませんでした。史実で彼が進言した京都は捨てて、包囲しておいて、千早赤坂で決戦をするのをしたかったのですが、それは難しいことが分かりました。
 1ターンで北朝は京都には来れないので、京都の武将、楠正成、結城親光、名和長年、干種忠顕はすべて北畿に脱出させました。そして新田義貞に北陸を攻めさせました。これは成功しました。
 奥羽の北畠顕家は北関東に浸入させました。南関東は足利尊氏が同等の戦力を持っています。すぐに足利尊氏が北関東に攻めてきました。残念ながら、サイコロ運が悪く、私は北畠顕家を奥羽に撤退させました。すると足利尊氏が奥羽に追撃に来ました。この結果、討ち取りチェックで北畠顕家は野に下り、潜伏してしまいました。
 北畿では中立武将の赤松円心が南朝側で挙兵をしましたので、山陽に移動させました。赤松円心は根拠地が山陽なので、ターンの終わりに山陽は南朝の支配地になりました。
 九州では中立武将を南朝側で挙兵させ、南九州を取ることに成功し、この勢いで太宰府を取ろうと考えました。太宰府は2点です。しかしながら、北朝側で中立武将が北九州で挙兵したので、果たせませんでした。
 京都は3点もの勝利得点です。北畿に逃がした三木一草の武将に北畿で徴兵をさせ、京都に突入させました。
 6ターンの終わり、勝利得点を数えてみると北朝側が10点を振り切っていることが判明し、私は負けました。北畠顕家と足利尊氏は強さが同じならば、こちらからは攻めない方が良かったかもと私が言うと、相方が、いや、足利尊氏を関東にくぎづけにしておくために、断固、責めで行くべきだったと言います。サイコロ運があれば、展開も変わったかもしれません。

 ついでながら、今般、東京からゲストが来ました。彼は日本で最も古いウォーゲームサークルのひとつ「カデークラブ」に所属し、神戸に腕試しに来た猛者です。彼の軍事に関する話も面白かったです。

 ・・・非常につまらない話ですが彼はその容貌が私のフレンドのたかたかさんにそっくりです。世の中には似た人物が三人いるということわざを思い出すほどそっくりです。もし、たかたかさんと面識のある方は、たかたかさんを思いっきり髪の毛をさみしくさせると想像できるかと思います。

コメント

2013年
05月09日
23:36

そっくりさんですかw
それはさておき、わざわざ関東から来てくれるのは、嬉しいですよね。
今後も交流が続くと良いですね

2013年
05月10日
06:05

2: U96

>たかたかさん
彼は「AGW」の会長とは古い知り合いのようです。
出身は四国と聞きました。
盆休みにはまた「AGW」に来てくれるでしょう。