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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2012年
09月27日
04:54

誉エンジンの改良史

 昭和16年、戦争に突入する頃からしだいに誉エンジンの様子が変わってきました。燃料のオクタン価が100から91~88で運用するよう指示があり、シリンダー温度の異常過昇が始まりました。ガソリンに加えた水とメタノール(特にエタノール)の噴射方式の改善等と天火栓の熱価の向上、燃料分配の向上対策などでかろうじて防ぎました。シリンダーにアルミ鈑のひれを鋳込んで理想的な冷却方式とする、いわゆる鋳込ひれシリンダーを生産することに成功しましたが、生産性が悪いなどの問題もあり、後に住友金属社の金型方式(ブルノー式)により5mmという細かいピッチの鋳物方式にきりかえました。
 主接合棒軸受のケルメットの故障もしばしば起こりはじめました。エンジンオイルが悪くなったこともあったかもしれません。もともとNAMに比べて30%くらい軸受荷重が高く、300kg/C㎡でした。故障に際しては海軍のT監督官、A技師、中島のW技師などの昼夜を分かたぬ努力で、軸受材の組織をはじめ表面の鉛メッキ、両端の仕上げ、さらにクランクピンの仕上げ精度の向上(ポリッシュ)などにより、よやく解決の方向に向いました。また、ファルマン減速の傘歯車の推力軸受の平軸受の熱損の大きな問題でしたが、ケルメットの鉛のパーセントを20から30に変更することでしのぎました。
 ある試作機が高度をとると油圧低下を起こすことが発生しました。油の循環量が主接合棒受対策や2速過給器のスラッジ対策、などで大幅に増したのでポンプの容量を30%ほど増してありました。タンクからポンプまでの吸入側のパイプまでの吸入側のパイプが細く長いために、高度が上がって気圧が低下するとポンプの入口の圧が下がり油圧が低下することが分かり、この系統を改造して解決しました。
 一時、各種の試作機から出力が出ていないのではないかとの指摘がありました。調査の結果、シリンダーの吸入排気ポートをはじめ、主として給気系の通路の鋳物の形が原型と違っているものが多く、これをもとにもどして出力が回復しました。
 こうして生産にこぎつけました。紫電改、疾風の戦闘機、銀河の長距離爆撃機、彩雲の高速偵察機などに搭載されました。しかしながら昭和19年の後半でした(終戦は昭和20年の8月15日)。
 戦後、アメリカ軍によって100オクタン価のガソリンと高性能のエンジンオイルで試験がおこなわれた機種は十分な性能が出たと報ぜられ、遅すぎたエンジンと言われました。

コメント

2012年
09月27日
17:40

色々試行錯誤を繰り返してできたエンジンなんですね。
1ℓあたりどれくらいの距離飛べるのか気になります!
1ℓじゃあ飛ばせないですかね?

2012年
09月27日
18:20

2: U96

2012年
09月27日
18:42

1時間で700ℓwww
リッター140円で換算しても98000円飛んでいっちゃうのか…

1時間で移動できる距離にもよるんでしょうが、
10万近く払ったらものすごくいい旅行が楽しめますねw

2012年
09月27日
19:12

4: U96

>えんぶんさん
戦争はお金がかかるのです。
だから、戦争反対なのです!

2012年
09月28日
20:10

ニッケルが不足したのも品質低下の原因でしたね。
以前、学生時代に「紫電」「紫電改」の設計で知られる菊原静男サンの薫陶を受けた、という航空技術者から話を聞いたところによると
「紫電は五三型(紫電改のエンジンを三菱のハ43(MK9A、A-20)に載せ換えたもの)が完成形だった」
と述懐していたそうで。
誉(ハ45)の性能では不満だったのかもしれませんね。

2012年
09月28日
20:22

6: U96

>咲村珠樹さん
紫電は中翼配置で、これが最も空気抵抗が少ない配置だったのですよね。MK9Aを紫電に搭載された姿、見てみたいですね。

2012年
09月29日
00:10

紫電五三型というのは、紫電改(紫電二一型以降の別称)の機体にハ43を搭載したもので「試製紫電改五(N1K5-J)」とも呼ばれます。
ですから、低翼配置ですね。
低翼配置は空中での効率は若干劣りますが、離着陸時の際は胴体部分も翼面積に入る為に地面効果で揚力が増し、取り扱いが容易になるという利点があります。
中翼配置のままにした紫電では、脚が長くなり過ぎ、折り畳み機構だけでなく重心も高くなり、バランスが悪かったそうで、地上滑走中の転倒や逸脱が多発しましたから……343空(2代)で教官をした坂井三郎さんは酷評してますもんね(^^;

2012年
09月29日
05:34

8: U96

>咲村珠樹さん
これは失礼いたしました。ありがとうございます。